バカの壁【感想】

バカの壁(著:養老孟子)を読んだ際、自分なり得た考え・視点について。

本を読んだ際の感想や受け取り方は、人によって変わるので気になった方は読んでみては。

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目次

ポイント

社会の情報化に伴い、「人間は変わらない = 自分が正しい」と考える人が増えた。
これは自分の考えの中(壁の中)に閉じこもっていることに他ならないのだが、そうした人は『壁の外』が存在することにすら気が付いていない。
自分の考えは、自分の脳という単なる入出力装置を経由した出力結果にすぎずない。
(途中の計算式は人によって異なるし、また、計算式は自分の体験や経験によっても変わりうるものものである。)

つまり、ソクラテスのいう「無知の知」を再認識し、俯瞰の視点を持つことが肝要である。

メモ

我々は自分の脳に入るものしか理解できない。

だが、もともと問題には様々な回答があり得る。そうした複数の解を認める社会が理想

「わかっている」として思考停止をするが、そもそも「わかっている」べき対象とはなんなのか??

「常識と雑学を混同視している」(常識とは、『誰が考えてもそうでしょ』という内容)

脳も入出力装置・計算装置に過ぎない。
入力された情報に対しての反応(出力結果)は人によってさまざまである。
人は自分の脳を高級視しすぎている。

本来、意識とは共通性を徹底的に追及するもの。その共通性を確保するために、言語の論理と文化、伝統がある。

「個性」は生得的なものであるにすぎず、それ以上でもそれ以下でもない。(例:スポーツ選手)
「個性的になろう」とするのは間違い。

都市化、社会の情報化が進んだことにより、「人間は変わらない」と考えるようになった。
本来は「人間は変わるもの」であり、過去の人間はそれを理解していた。(例:『平家物語』祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。)
現在… 人間:不変、情報:変化
過去… 人間:変化、情報:不変 (『武士に二言はない』)

知るということは自分がガラッと変わることである。

あべこべ現象(無意識・身体・共同体)
身体への意識の喪失…「知行合一」(学んだことと行動が一体であるべき)というように、本来意識と体はワンセットであるべきである。社会の進化ともに身体への意識がすれた。
共同体の崩壊…「村八分」を平気でやり始めているように、共同体が崩壊している。共同体は目的をもって形成されているものだが、逆に共同体を維持することが目的になっている。
無意識の喪失…無意識を認めないことにより、自分の意識外も認めない。

バカとは?賢い人の脳もバカの脳も反応スピードは変わらない。そのため、バカは脳の機能が劣っているということではなく社会的適応性が低いことをいう。

現代人はいかに考えないまま、己の周囲に壁を作り、大事なことを考えなくなっている。
では、どうしたらよいか?
どういう共同体が望ましいのか、またどんな状態を私たちは幸福と感じるのか考える必要がある。

欲を欲と思っていない、欲を正義だと思っている人が多い。

一元論的考え方は楽であるが、思考停止となる。

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